【多様な働き方を研究するコラム】菅田将暉の「コントが始まる」は昭和の匂いがした
こんなに感情移入したのは、お笑い芸人の物語ではありつつも、フリーターの物語だからかもしれません。バイトで生計を立てながら自分の夢を追いかけるーー。こうした若者がバブル期に向かっていった昭和の末期には多く出現しました。それが「フリーター」という生き方です。
バブル崩壊によって、フリーターは“社員になれない負け組”というレッテル貼られるようになっていきましたが、最初の定義は違いました。社員になれないのではなく、あえて社員にならずに自分の道を進んで行こうという自律的でアグレッシブな生き方を指していたのです。
令和を生きる若者の物語なのに、劇中の3人は、まさにそんな昭和のフリーター像を彷彿とさせます。しかも彼らの仕事が、それぞれ、リーダーの春斗(菅田将暉)はガテン系、瞬太(神木隆之介)は焼鳥屋の店員、潤平(仲野大賀)は雀荘のウエイターと、選んでいる仕事がシブすぎる。ウーバーイーツでもいいし、クラウドソーシングでウエブの記事を書くとった設定でもいいのに、あえての雀荘ウエイターって…。
そして登場する小道具も昭和的。例えば、瞬太の車が1980年代バブル期を象徴するシトロエンだったり、潤平が着ている服がJリーグ創世期の名古屋グランパスエイトのユニフォームだったり。そりゃオジサン世代はグッときちゃいます。そういう演出からも “昔の時代の若者像”キャラが、意図的に設定されていると確信するわけです。
いつかブレイクするのか、それとも不発で終わるのか。バイトしながら夢を追いかけて、結果として、その賭けに負けたわけです。今の若者からすると、相当なギャンブルだったと映るんじゃないでしょうか。3人が慕う高校時代の恩師である真壁先生の息子・太一くん(たぶん小学生高学年)との会話に象徴的なシーンがあります。
太一くん「夢って追いかけないほうがいの?」
春斗/菅田「えっ、どうして?」
太一くん「だって失敗したあと、大変そうだなぁ、って思って…」
夢を目指すにせよ、日々の仕事も、解散後続けてもよさそうな選択をして保険をかけておく。あるいは、夢も人生のワンオブゼムとして位置づけながら、本業を持ちつつチャレンジする。そんなふうに、なんらかのリスクヘッジをしておく生き方の方がイマドキ感あります。
太一くんの言葉に対して、春斗/菅田は「俺たち失敗してないよ」と答えます。
このセリフに涙腺崩壊しました。「コントが始まる」が、イマドキの若者を切り取った物語でないことは前述のとおりですが、もっというと、イマドキの若者の価値観に対してアンチテーゼを示す物語だったのではないかと思うのです。
最終回では、「マクベス」解散とその後のストーリーが粛々と展開されます。
自分たちの人生に一区切りつけて、ごくごく普通の人生が始まっていく。特別な存在になれなかった若者たちの、特別ドラマチックなことが起こらない日々。そんな人生を予感させるような結末です。
しかしながら、この結末は逆に、合理的なイマドキの若者へのアンチテーゼ感をより鮮明にしているように思います。将来を見据えすぎることなく、人生に保険をかけることなく、何かに真剣に濃ゆく向き合うことの尊さ。それこそが「若さ」の価値ではないのかと…。
まったく余談になりますが、最後に、フリーターという言葉を生み出したアルバイト求人メディア「FromA」の元編集長としてのつぶやき。リクルートがインディードを買収せず、タウンワークを生み出してないパラレルワールドだったら、絶対、この番組のスポンサーやってるよなぁ…。
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担当 :和田
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