【多様な働き方を研究するコラム】
2020年の年末はニッポン全国で忘年会スルー
年末が近づくと、例年なら多くの職場で忘年会が企画されます。ところが今年は、新型コロナウイルスの感染拡大という事態を受けて、開催すべきか見送るべきか、職場の責任者や幹事らは頭を悩ませています。
民間調査会社の東京商工リサーチが実施した調査によると、忘年会を「開催しない予定」と答えた企業は8840社で全体の87.8%。我々、ツナグ働き方研究所による3000人のビジネスパーソンを対象とした調査でも、公式な忘年会を開催しないとの回答が81.5%と、やはり大多数の企業が自粛の方向です。
しかもコロナ第3波の高まりによって、菅首相が「この3週間が極めて重要な時期」と発言。師走の忘年会シーズンとモロ被りの時期で、開催に悩むこと自体がもはやナンセンスな風潮となってきました。
しかし、個々の現場の声からは、確かに悩ましいと感じるような事情も。
社員、パートを含めて40人ほどが働く営業所で所長を務めるAさんは、例年、忘年会を含めて年3回程度、職場のメンバーの大半が参加する宴会を開いてきました。でも、今年は新型コロナの影響で、一度も開けないまま。“せめて忘年会だけは”と、夏に市内にある温泉旅館の宴会場を仮予約しました。
「8月ぐらいからは、ほとんどのパートさんに残業対応をお願いしている状況で、皆さん、だいぶ疲弊していますし、発散できる場を設けてあげたい」とAさんは語ります。忘年会を開催する場合には、個別の御膳を用意し、お酌などは禁止。いつもは役員も参加していたのを、今年は営業所の従業員だけにするなど工夫をする前提のようですが、「この状況の中、大人数で集まっての宴会などは風潮的にどうなの?という感じが否めません。やるべきか、やめるべきか」と頭を抱えます。
日本においての忘年会の歴史は古く、その起源は室町時代に遡るといわれます。江戸時代に1年のうさを晴らす「歳忘れ」の行事として広まりました。
そして戦後に普及した日本型雇用慣行の中、職場に欠かせないイベントとして定着しました。かつては、家族主義的な関係性の中で、社員は身内同様の存在として、団結心、チームワークを担保していました。そうした関係性に職場忘年会は一役買っていたのです。
しかし、いかにも昭和的なこの「飲み二ケーション」は、令和の時代になって疑問視される向きもあります。その象徴が昨年末に注目を集めた「忘年会スルー」。スルーは無視という意味で使われていて、この言葉がSNSでバズったのです。これによって若い世代を中心として、職場のオフィシャルな忘年会に参加したくないという声が表面化しました。前述のA所長の想いが、どれだけ従業員に届いているのかは正直なところやや疑問です。
これは、忘年会そのものへのバッシングというのではありません。会社の忘年会に半ば強制的に参加させられることに納得がいかないと考える人の心の叫びと捉えるべきです。
参加したくない人の本音は、
「気を使うので疲れる」
「上司の話を聞くのが面倒くさい」
「二次会のカラオケがイヤ」
「飲み放題にする事が多く、料理の質が低くなり代金はそれなりにかかる」
「失礼なことをしないか気になって楽しめない」
「金銭的な負担額大きいから」
という声に集約されます。
飲みたくもない人と、カネも時間も、気も使うのはイヤである、というのは至極もっともな理由とも言えます。確かに、この時代において、会社の忘年会という仕組みは、色々と理不尽さをはらんでいます。つまり、厳密なタテ関係に基づく上意下達的なコミュニケーション手法がほころび始めていることを象徴する流れとも言えるでしょう。
コロナ禍のいま、リモートワークが進行しています。また従業員が出社しなくてがらんとしたオフィスを維持し続けることに意味を見出せないことで、オフィスを縮小しフリーアドレスを導入する企業も少なくありません。
こうしたリモートワークやフリーアドレスは、個々人の自立的なワーキングスタイルを促進する反面、リアルな接触時間の減少によって社員間のコミュニケーション不全も誘発しがちです。
そういった観点に立つと、職場のコミュニケーション自体が危機に瀕するなかで、飲みニケーションの代表格といえる職場忘年会をどうするかとか言っている場合ではないようにも思えてきます。もはやニッポン全体で忘年会スルーでいいんじゃないでしょうか。酒の力など借りている場合でなく、今こそ、しらふで職場のコミュニケーションについて考える時です。
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担当 :和田
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